「主をお迎えしよう」 08.12.28
  ヨハネ黙示録 3:20〜21
 主イエスは、ご自分のことを「失われたものを探して救うために
来たのである」とおっしゃいました。それは、ザアカイの家でおっしゃ
った言葉です。当時は罪人とみなされた徴税人であったザアカイは、
神さまから離れたところで生きていました。ザアカイ自身、そこに
居心地の悪さを感じていたようで、主イエスが町においでになった
ことを知り、一目主を見ようと出かけました。群衆に遮られたため、
彼は木に上ります。主イエスは、そのザアカイに目を止めて、
「急いで木から降りてくるように」とおっしゃいました。そうしてザアカイは
主イエスを迎え入れ、救われました。
 「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を
聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、
彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしは
自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその
玉座に着いたのと同じように。」と、主イエスはわたしたちにも語りかけてきます。
信仰生活は、心の戸を開いて主イエスをお迎えし、主イエスと一緒に
生き始めることです。

 戸口に立つ主イエスは、戸を壊して侵入してはこられません。
それが出来ないからではありません。わたしたちが、戸を開けることを期待し、
また信じていらっしゃるからです。戸口で待っておられる主にお応えし、
「はい」といえる者でありたいと思います。
 主イエスをお迎えして、主イエスと共に生きることは、健やかな歩みを
生み出します。
自分の欲望に振り回されて傷つけあう生き方ではなく、
愛を知らされ神と人を愛する歩みに進み出すからです。また、自分の罪の
一切が十字架によって赦されていることを知り、赦された喜びと慰めを抱えて
生き始めるからです。更に、神と共にある勝利の玉座に着く確かな約束が
与えられるからです。
 主イエスは、戸を一心に叩いてくださっています。私たちの救いを、
切望しておられるからです。